保護猫な日々

保護猫(主にミルクボランティア)との日々の日記です

日常の尊さ…

 

f:id:nekomanma222:20220406095432p:plain 毎日のトップニュースはウクライナへの侵略報道で、キーウ・ブチャでの市民の遺体の映像には「70年前の第二次世界大戦から人間は反省・学びは無いのか…」と無力さに押しつぶされそうです。

 亡父が洋画好きで、子どもで分からない事も多いけれでも一緒に観ていました。

「ひまわり」もその1つです。

あまりにも有名で名作なので、ご存知の方も多いかと思いますが…

 第二次世界大戦時にイタリアで結ばれた新婚夫婦の夫が旧ソビエト戦に行き行方不明になります。

数年後、妻がやっと情報を得て尋ねると夫は新しい生活(記憶を無くして介抱してくれた女性と結婚していたのです)

打ちひしがれた妻が観た景色は地平線のかなたまで続く『ひまわり畑』

映画は更に辛い展開をするのですが、長くなり過ぎるので割愛します。

 

 ウクライナへの侵攻が始まり、あのひまわり畑はウクライナでの景色だったと知りました(当時は旧ソビエトに併合されていたので)

 現地の住民が「ここには(先の大戦で)亡くなった兵隊達の遺体が埋まっているんだよ」と説明するシーンが子ども心にショックでした。

父に「死体が埋まっているってどうして?」「お墓なの?」等と質問責めにした思い出があります。

以前にも書きましたが父も旧制大学では勤労奉仕や訓練ばかりになっていました。

淡路島に飛行場を作る為の土木作業もあったそうです。

学生の父は隔週末に神戸の自宅に帰る事が出来、上官(その方も大学を20際で卒業になり、即席の士官にされていたそうです)から「本が読みたいので貸してくれませんか?」と頼まれ、帰宅する度に新しい本を持って帰ってあげたそうです。

父の姉の旦那様も若くして戦死していたので余計に親近感もあったのかもしれません。

父も国の政策で20歳で卒業し、士官学校に送られ(でも戦況はますます厳しくて、1年の予定が半年間だけ…の超即席士官に)

基地に行く直前に原爆が投下され終戦になったのでした。

その後、父は新制の大学に入学し、やっと勉学やクラブ活動などの学生生活を送る事が出来たのでした。

今、思うと戦争の映画をよく観ていたのは自分は数年の違いで戦地に行かずに命をつながれたけれども、亡くなった先輩や同年代の上官の方を心の中で偲んでいたのではないかな?と思います。

そして、つつましくも日常生活が過ごせる事を言葉にしないけれども感謝していたのでは無かったかと…

 

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そんな最近ですが、我が家の猫達や里親様のお宅で幸せに暮らしている猫の近況を教えて頂くと、本当に癒されます♥

 

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雨くん

 

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雪ちゃん

 

2匹は、我が家にいるルルの兄妹です(3兄妹なのです)

最新号のみゅうみゅうのニュースレターにルルの写真があるので最近のお写真を送って下さりました(#^^#)

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お気に入りの玉で遊ぶルル(家中のいろんな所に持って行くのが大好き♪) 

やはり、3匹共によく似ていますね!